ビューティーナビコラム

【対談】ビューティーアトリエ 郡司成江氏×アトリエファイン 栗原貴子氏「女性経営者だからこそ実現できる、美容業界の新しいカタチ」

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ビューティーアトリエ 郡司成江氏×アトリエファイン 栗原貴子氏
「女性経営者だからこそ実現できる、美容業界の新しいカタチ」


■「経営者」になったきっかけ
>ビューティーナビ:
郡司さんはもともとお母様が美容室をされていたとお聞きしましたが、美容室を始められてから何年ですか?

>郡司氏:
母が最初美容室を始めてからは、51年目です。私が生まれたときから母が美容室を経営していたので、その背中をずっと見ていました。必然的にまわりの人達は私が跡取りだと思っていたし、小さい時から「美容学校行くのよね」「美容師さんになるのよね」などと言われていて、当時はそれが嫌でした。

母がほとんど仕事で家にいなかった小学校時代を過ごして、お母さんが家にいる友達が羨ましかったので、中学生くらいまでは“専業主婦になろう”と思っていました。昔は住み込みの人たちもいて、小さいときは遊んでもらったりしていましたが、母親がおにぎりだしてあげたり、帰る時にクッキーをあげたりしているのを見て、「お母さんは私よりお兄ちゃんお姉ちゃんのほうが好きなんだ」と思ってしまったこともありました。

高校生になって将来のことを考えてたときには、自分の中に“ファッションとか美容のことをやるんだな”という気持ちはあったんですが、まわりから“跡継ぎ”と言われるのがやはりあまり良い気持ちはしなくて。その時父親に、「学校に行くんだったらお金を出すけど、学校に行かないで働くんだったら一銭も出さない」と言われたんですよね。

親の考えとして、“大学は勉強をしに行くところではなくて、人脈を作りに行くところだ”というのがあって、その時は私もまだ遊びたい気持ちもあったので大学に行くことにしたのですが、高校のとき、「やるかやらないかわからなくても、美容学校の通信を受けろ」と親に言われて勉強はしていたので、いずれは美容の世界に入ろうと思っていました。

そういうこともあり、“美容の仕事をしたいのになんで大学にいるんだろう”と、気持ちが冷めてしまい、大学を辞めようと思い父親に相談したとき、「お前は何も頑張ってないからつまらないと感じるんだ。3ヶ月間頑張ってみろ。それでもつまらなかったら辞めてもいい」と言われたので、3ヶ月間勉強を頑張ってみたら、なんだか楽しくなってきたんですよね。それがきっかけで4年間大学に通うことができました。

ヘアメイクの仕事がしたい気持ちは変わらなかったので、大学の3~4年はヘアメイクの夜間の学校に通い勉強をしていました。当時はヘアメイクの仕事を探すことが難しくて、紹介とか、業界誌に書いてある「ヘアメイク募集」の欄を見たりしていました。

無事仕事は決まったんですが、カメラマンの方に、「“最初誰に学ぶか”はすごく大事だよ」と言われ、誰のアシスタントになったら良いのか迷い、カメラマンさんに紹介していただいた、当時ヘアメイクとしてトップで活躍していた方の仕事を見させてもらいました。

その時その方に「将来どんなヘアメイクになりたいの?」と言われ、私が「一流のヘアメイクになりたいです」と言ったら、「だったらなぜ“ヘア”の勉強をしないの?」と言われて。

自分でもヘアを勉強したほうがいいとわかっていたのですが、ずっと美容師さんの生活を見ていたので、ヘアを勉強するためにサロンに入ってスタイリストになるまで何年かかる、などもわかっていましたし、それを考えると腰が重たくなっていたのですが、その時ズバっと言われたおかげで、改めて考えるようになりました。

言われたときはすごく悔しくて涙がばーっとでて、家に帰ってからも悔しい気持ちが消えなくて。でも、一晩泣いて翌朝、「ヘアを勉強しよう!」と決意しました。

その当時もう22歳だったので、どうやったら早く学べるかを考えたときに、なぜか本屋さんに行ったんですよね。そこでいろいろな本を見ていたときに、ヴィダルサスーンのカットスクールがあることを知って、それから2~3か月後にはヴィダルサスーンに行く手配になっていました。

カットの勉強をした後は、向こうで美容師として働いていたので、本当は日本に帰ってきたくなかったんですが、その時背中を押してくれた人が、「若いんだから今一番大変なことしたほうがいい」と言われ、「大変なことってなんですか?」と聞いたら、「自分の家帰ることでしょ?」と言われ、日本に帰る決意をしました。

日本に帰ってからはスタイリストとして働くことになったんですが、ヴィダルサスーンで学んだこととはやり方が180度違ったこともあり最初は戸惑いもありましたが、サッスーンカットの教室をやらせてもらったりして、そのうち自分が育てたスタッフがスタイリストデビューしてくれたり、自分も役職をもらえたり、段々と、“継ぐ”という意識が芽生えていきました。

その時も経営に関わる仕事はやらせてもらっていましたが、人脈とか見え方とか、そういったことを考えたときに、継ぐのであれば母親が元気で相談できるうちのほうがいいと思い、経営者になる決意をしました。
栗原先生は最初から自分で経営しようと思っていたんですか?

>栗原氏:
私は子供のころから“美容室を自分で経営する”という思いがあって、小学校2年生の時に書いた作文にはすでに、「美容師になってサロンを経営する」と書いてありました。その気持ちは大きくなってからも変わることなく、そのまま何の疑いも無く突っ走ってきましたね。

私の家は、両親ともサラリーマンで、朝になると、母はスーツを着て綺麗にブローをしてヒールを履いて颯爽と仕事に出て行って、父親もスーツを着てビシッとキメて仕事に行き、私が産まれた後も、女性もキャリアを捨てずに自分だけのポジションを築くべきだと生後3ヶ月で託児所に私を預けて、(託児所に私を預ける時は、私じゃなくて母が後ろ髪引かれて泣いていたそうです)夫婦で協力し合いながらキャリアを築いて、仕事も子育ても全力でやる、という家庭でした。

両親のことはとても尊敬していて、仕事をすることの素晴らしさは両親の姿からすごく感じていました。でも私は、教育熱心で、学歴を重んじる両親は私の進学を望んでいましたが期待に応えることが出来ず、夢の美容師に1日でも早くなるために、両親の反対を押し切り、強行突破しました。両親はすごく悲しみましたが、それでも私は美容師の道を選びました。

私が東京に就職するという旅立ちの日に、両親が私を心配するあまり、当時はずいぶん言い争いもしましたが、「一人前になるまで帰ってくるな」と目に涙を浮かべながら父がお小遣いを持たせてくれたのを覚えています。

サラリーマンとして上昇志向を持ち、企業の中で努力を積み重ねて自分のポジションをしっかりと創りながら活き活きと働いている両親を見ていて、自分の仕事は自分で構築していくものだと思っていたので、しっかり仕事をしている父と母の背中を見て育ったことが、“経営者になる”という考えの元を作ってくれたのかもしれません。

>郡司氏:
小さいときから美容師になることを決めていたとのことですが、ご両親が会社員として働いていて、「美容師」という職業はどこで知ったんですか?

>栗原氏:
子供の頃に住んでいた家の向いが美容室で、うちが両親とも働いていたのもありオーナーさんがよく私を預かって面倒をみてくれていたので遊び場が美容室でしたし、親戚が床屋さんをやっていたりとか、そういうことがきっかけでした。学生のころから物作りや美術も、友達の顔をメイクしたり、髪の毛いじったりするのも好きでしたね。

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